ネクタイの歴史

首周りを着飾る古代の歴史

第11代王朝

古代エジプト(紀元前2061〜紀元前2010)
第11代王朝

古代エジプト王朝の墓には、首飾りを巻いた人々の姿が描かれています。
エジプトでは、王朝の設立より古くから高度な織物技術を持ち、位の高い人物は首飾りなどを付けていたと考えられています。

秦の始皇帝 兵馬俑(へいばよう)

古代中国(紀元前259年〜210年)
秦の始皇帝 兵馬俑(へいばよう)

現在のネクタイに近いです、首に布を巻くスタイルで一番古いものは、中国最初の皇帝 秦の始皇帝の陵墓に見つかった、7500体もの素焼きの兵士の首に布を結んだ姿が見られます。

トラヤヌスの記念柱

古代ローマ(101年〜106年)
トラヤヌスの記念柱

西暦113年にトラヤヌス帝がローマに建立した円柱には、2500人もの人物が刻まれており、その多くが首に布を巻いて闘う姿が見られます。

ヨーロッパでのネクタイの広がり
ヨーロッパでのネクタイの広がり
ルイ14世

ルイ14世

フランス(17世紀〜)
1618〜1648年、30年戦争と呼ばれるこの時代にフランスの王ルイ14世が組織したクロアチアの騎兵隊兵士達が、妻子や恋人たちからお守りとして贈られた布を首に巻いていた姿にルイ14世が興味を示し、レースや刺繍を施したスタイルで自国に取り入れたことで、王や貴族など上流社会に流行したことがネクタイの起源だといわれています。
クラヴァットという言葉は、14世紀のフランスや16世紀のイタリアですでに使われていたようですが、フランスでは現在でもネクタイを「クラヴァット」と発音されており、フランスの装飾品として広まったこのネックウェアがネクタイの原型として兵装としても用いられ、第一次世界大戦頃までの一般的な男性の正装として活用されることとなります。

チャールズ2世

チャールズ2世

フランスからイギリス(17世紀中期〜18世紀)
イギリス革命の激動の時代に生まれたイングランドの国王チャールズ2世は、1646年16歳のときにフランスへの亡命を余儀なくされ、ヨーロッパ中を移り住みました。
当時すでにクラヴァットが流行していたフランスで過ごしたのち、王政復古を実現するためロンドンに戻った1660年、チャールズ2世のイングランド王政復古をきっかけにクラヴァットはイギリスに広がっていきます。
イギリスで使用されていたクラヴァットはネッククロス(顎布)と呼ばれるひも状のネクタイであり、19世紀に入ると、ファッションの流行がフランスからイギリスへと移行していきます。
これまで華やかさを競っていたフランスの男性ファッションを根底から覆す、「ダンディズム」という全く新しい価値観が生まれます。

ジョージ・ブライアン・ブランメル

ジョージ・ブライアン・ブランメル

イギリス(19世紀)
この時代の先頭を走っていたのが当時の社交界の伊達男、ジョージ・ブライアン・ブランメル(1778年〜1840年)です。
通称、伊達男(ボー)ブランメルと呼ばれ、彼のスタイルは、これまで主流であった過剰な装いを否定し、シンプルと清潔感を追求したものでした。
そのセンスに英国皇太子までも注目したことで、現代にも通じる英国紳士のファッション性の礎がこの時代に築かれていきます。
19世紀後半には、イギリスでクラバットの結び目のみを残したボウ(蝶ネクタイ)が作られ、アスコット競馬場に集まる際の服装としてアスコット・タイ、ダービー・タイ、同時期に現在の主流となるネクタイと同じ形であるフォア・イン・ハンド・タイが生まれ、ネクタイが正装になっていきました。

ジェシー・ラングスドルフ

ジェシー・ラングスドルフ

アメリカ(20世紀〜)
アメリカのネクタイは、当時イギリスの植民地であったことで伝わったという説があります。
イギリスを中心に大流行したフォア・イン・ハンド・タイですが、当時、大きな布を折りたたんだだけのものもあり、とにかく結びづらく、また結んでもすぐに解けてしまうため、重大な欠点がありました。
その問題を解決したのが、ニューヨークのネクタイメーカーであったジェシー・ラングスドルフです。
ジェシー・ラングスドルフは、1926年に生地をバイアス(斜め45度)にとり、大剣、小剣、中つぎという3つのパーツに分けて裁断、縫製することで結びやすく、生地を無駄なく使える製法を開発します。
この製法が世界中に広まり、現在も変わらない画期的な発明となっています。

日本での伝播
伝播
中浜(ジョン)万次郎

中浜(ジョン)万次郎

日本に持ち込まれたネクタイ(18世紀〜)
日本でのネクタイの歴史は18世紀の中頃、中浜(ジョン)万次郎の帰国とともに日本に渡来したと言われています。
万次郎は土佐の漁師の生まれで、仲間と漁に出て遭難してしまいます。
その後、漂着した鳥島にてアメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイに届けられた万次郎は、捕鯨船の船長に願い出てそのままアメリカへと同行し移り住みます。
この万次郎がアメリカから帰国を果たした際の所持品に「白鹿襟飾三個」と記録があり、これが日本で最初に持ち込まれたネクタイと考えられています。
その後、1863年には長州を脱藩して英国船でイギリスに留学した、井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)ら5人がロンドンにて洋服ネクタイ姿で記念撮影した記録が残っています。

小山梅吉

小山梅吉

日本でのネクタイ製造(19世紀〜)
これ以降、海外からの洋装が日本に持ち込まれ始め、政治や軍服などにも取り入れられる様になっていきますが、日本ではじめてネクタイが作られるのは1884年になります。
1882年、東京日本橋にて舶来ネクタイがはじめて販売され、翌々年の1884年10月1日に初めて国産ネクタイが製造販売されます。
この第一号が当時神田に住む帽子製造業の小山梅吉でした。
小山梅吉が作った第一号のネクタイは蝶ネクタイであったようです。
この国産ネクタイ第一号を記念して、1971年(昭和46年)に日本ネクタイ組合連合会により、10月1日を「ネクタイの日」として制定されました。

世界のネクタイの呼び方

日本 ネクタイ(襟帯、襟飾) ネクタイ(きんたい、きんしょく※ネクタイの旧名)
イギリス、アメリカ Tie(Necktie) タイ(ネックタイ)※「タイ」と呼ぶほうが一般的
ギリシャ Grabata グラヴァッタ
フランス Cravate クラヴァット
スペイン Corbata コルバータ
イタリア Cravatta クラヴァッタ
ドイツ Krawatte グラヴァッテ
中国 领带 リンダイ

参考資料/引用:東京ネクタイ協同組合資料/日本ネクタイ史、ジョン万次郎資料館資料、ネクタイの歴史と進化tundra、ネクタイの歴史wikipedia

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